尖閣で進行する異変--調査が困難な海へ
私は長年尖閣諸島の海洋調査に取り組んできましたが、現在、調査の実施にはさまざまな困難が伴っています。尖閣諸島での海洋調査には、船や専門家の手配に加え、海上保安庁や自衛隊との綿密な連携が欠かせません。
しかし現在、中国による影響力の拡大により、 調査のハードルが一段と高くなっていると感じています。
このような状況のなかでも、海洋調査を継続することで、日本が尖閣諸島を実際に管理しているという「施政権」を、世界に明確に示すことが重要です。この調査が中断されれば、施政権の根拠が薄れかねないと考えています。
尖閣諸島は、日本の未来を左右する重要な海域であると同時に、過去の出来事を静かに語り続ける場所でもあります。現場を知る者として、私は次のような歴史的事実にも目を向けてきました。
戦争遺骨が眠る島--尖閣に残された哀しい記憶
『尖閣1945』という作品を読み、深い衝撃を受けました。作家・門田隆将さんの作品で、第二次世界大戦末期に尖閣諸島で実際に起きた出来事を基に描かれています。
終戦間近の1945年、石垣島から台湾へ疎開しようとした民間人を乗せた船が米軍の攻撃を受け、1隻は沈没し、もう1隻は魚釣島に流れ着きました。
しかし、その島には負傷者を助ける手立ても、十分な食料もありませんでした。残念ながら40人もの方が亡くなり、そのご遺骨はいまも魚釣島に残されたままです。地元・石垣島の方々は、何とかご遺骨を迎えたいと願っています。
しかし政府機関の間での対応が進まず、ご遺族の方々の願いを実現できていないのが現状です。ご遺族の高齢化が進むなか、1日も早くこの問題に向き合っていく必要があります。
尖閣諸島は、かつて多くの命が失われた歴史を持つ場所です。そして今もなお、そこには国として向き合うべき課題が残されています。さらに現在、この海域では暮らしや人々の安全が、再び揺らぎつつある現実があります。
漁師が追われる海、揺らぐ生業― 尖閣で漁師が直面する現実
いま、尖閣諸島周辺の海では、ふたたび人びとの暮らしと命が脅かされつつあります。その現実は、日々、海に出る漁師の方々のあいだで起きています。
尖閣諸島周辺は、石垣島・与那国島・宮古島の漁師の方々が、日々漁に出る海域で、とくに、アカマチ(本土ではハマダイ)という高級魚が獲れる場所としても知られています。
ところが、近年では日本の漁船が、中国海警局の大型巡視船に追尾される事例が頻発しています。
その様子は中国側によって撮影され、「日本の不法漁船を排除した」として、中国国内や国際社会に発信されているのです。
突然現れる大型船に追われ、漁ができなくなってしまえば、漁師の方々の暮らしは成り立ちません。「これでは燃料代にもならない」と、切実な声も聞かれます。
日本の漁業者の方々が安心して漁業を続けられるよう、この海域の安全確保に向けた体制の強化が必要とされています。尖閣の問題は、安全保障の枠をこえて、地域に暮らす人々の生活そのものと、密接につながっているのです。
海と生きる国として―尖閣から、日本の未来を見据えて
尖閣諸島をめぐるさまざまな出来事は、一地域の問題にとどまらないように思います。それぞれの背景には、「私たちはこれから、海とどう関わっていくのか」という、もっと大きな問いが見え隠れしています。
日本は、海によって支えられ、海とともに歩んできた国です。豊かな魚介類や鉱物資源、美しい自然環境――この恵みを未来へつないでいくためには、主権を守り、資源をいかし、人びとの暮らしを守る政策が欠かせません。
私自身、これからも現場の声を受けとめながら、提案を重ねていきます。そしてその実現には、多くの方のご理解とご協力が必要です。ともに、この海を守り、ともに生きる国のかたちを築いていきましょう。