【第10回】銀行から海へ。海洋安全保障の道を歩んだ理由

「安定」よりも、「使命感」だった

私が社会に出て最初に選んだのは、大手信託銀行でした。

不動産融資や債券のトレーダーとして、資金の流れと経済の仕組みを現場で学びました。

数字を扱う世界は刺激的でしたが、心のどこかで「このままでいいのか」という違和感を抱え続けていました。

「日本船舶振興会」との出会いがすべてを変えた

転機となったのは、担当企業として関わった**日本船舶振興会(現・日本財団)**との出会いでした。

海事分野に関わるうちに、日本という海洋国家の脆弱さ、そしてそこに潜む課題の多さを知ることになります。

バブル崩壊の兆しが見えていた頃、「このままでは日本は海を守れない」と感じ、私は銀行を辞める決断をしました。

そして、財団の一員として海の現場へと飛び込みました。

海の声が、自分を動かした

ジブチ、マラッカ海峡、インド洋――海賊対策の最前線を巡り、ヒアリングを重ねました。

現地で出会ったのは、生活のためにやむなく海賊行為に関わる人々。

「子どもに教育を受けさせたいが、金がない」

そんな声に、私は衝撃を受けました。

海賊を取り締まるだけでは、何も変わらない。 根本解決には、沿岸地域の生活支援と国家の安定が必要だと感じました。

博士論文のテーマは「公海の安全保障」

この課題意識はやがて、研究の道へと私を導きました。

社会人として大学院に通い、博士論文のテーマに選んだのは「公海における安全保障に係る費用負担」。

国際社会のルールの隙間をどう埋め、日本がどんな役割を果たすべきか。

実務と理論の両面から追い求めてきました。

海を守ることは、私たちの暮らしを守ること

日本は、貿易物資の99.6%を船に頼る海洋国家です。

けれど、船員は足りず、造船所は厳しい状況にあります。

私たちの暮らしは、「見えない海の安全」に支えられているのです。

海洋安全保障は、もはや一部の専門家だけの問題ではありません。

国民全体で考え、守るべき**“公共財”**だと、私は信じています。

これからも、海の声を伝え続けるために

銀行で培った分析力。海の現場で得た実感。

両方を持つ人間として、これからも海の現実と必要な政策を伝えていきます。

銀行から海への道。

それは遠いようで、私にとってはまっすぐな道でした。

この記事を書いた人

山田 ヨシヒコ

学習院大学経済学部を卒業後、東洋信託銀行㈱にて都市開発および債券トレーディングを担当。
その後、財団法人日本船舶振興会に勤務し、海洋問題や造船技術開発を担当。2009年に東海大学教授に就任し、2019年から2023年まで、東海大学学長補佐・静岡キャンパス長を務める。国土交通省や東京都をはじめ、各機関において政策アドバイザーを歴任。